これまでの働き方 これからの働き方 松林のぞみの場合
これまでの職歴と働き方についてを赤裸々に書き連ねていこうと思います。
学生時代のアルバイト
社会人になっての正社員時代
結婚出産しての派遣社員時代
どれも3年も続いていません。
石の上にも三年ということわざがありますが、残念ながら三年も座っていることができませんでした。
続かなかった理由は様々。
履歴書だけでみると眉をひそめそうな職歴を含め、
働き方について振り返ってみたいと思います。
長くは続けられなかったけど、多くを学びながら働いていたなと感じています。
2019年に36才になる一人の女性の働き方の振り返り。
どうぞお付き合いください。
- 建築事務所【正社員】新卒1年目 起業を意識した働き方を学ぶ
- 土木コンサルタント【パート社員】一人での働き方について学ぶ
- 広告代理店【正社員】会社の倒産、経営の難しさを学ぶ
- 飲食店、企画会社【正社員】会社の倒産、経営の難しさを学ぶPart2
- 区役所【派遣社員】公共意識について学ぶ
- 建設コンサルタント【派遣社員】計画性について学ぶ
- じぶん仕事実験中【個人事業主】働くことで一番大切なことに気づく
新卒1年目 起業を意識した働き方を学ぶ
大学4年の卒業の数か月まえの在学中から建築事務所で働き始めました。
CADソフトの使い方を覚えながらの図面描き、建築模型制作、現地調査、建築確認申請の書類制作、お役所巡りなど、新卒で覚えることはとても多く、毎日毎日夜遅くまで仕事をしていました。
残業、徹夜は当たり前の建築業界。
労働時間の長さ、お給料の低さ。
でも不思議なことに、やりがいと充実感はありました。
先輩や仲間に恵まれ
とても楽しい職場
自分にはこの仕事があっている!そう思いながら仕事でした。
建築事務所の所長は、いずれは独立して自分の設計事務所を持つことを意識した働き方をするように、と常に言っていました。
住宅という大きな買い物。
図面1枚がいくら、模型1つがいくら、設計費用に対して、何人分の人件費がかかり時間がどのくらいかかるのか。
仕事に対する考え方や費用に対しての根拠などが記された資料を入社してすぐに所長からいただきました。当時の資料は今でも大事に保存しています。
大学卒業して就職した1年目に、起業することを意識した働き方ができたことは、私の人生設計においてとても重要な出来事でした。
ただ、この会社は入社して11か月で退職することになります。
所長さんが、経営不振の末にナ・ゼ・カネットワークビジネスに入会し、設計士の卵たちに、化粧品を売るように指示をし始めたのです。
あんなにも熱く、指導してくれ、起業マインドを養ってくれた所長がまさかのご乱心…
クモの子を散らすように、当時の社員はさっさと辞めていきました。
土木コンサルタント【パート社員】一人での働き方について学ぶ
建築事務所からの突然の土木コンサルタント勤務。
建築のお仕事は好きでしたが、残業続きで家に1か月も帰れない状態が続き、すこしのんびり働きたい、と気分転換に職場探し
大学の専攻が都市計画だったので、タイミングよく土木コンサルタント事務所のパート社員の募集があり、すぐに応募し、あっという間に決まり働き始めました。
都市計画の仕事に携われるワクワク感!
どんな職場環境でどんな人たちと一緒に働くのか楽しみで仕方のない、新卒1年目の若造が待ち受けていたのは…まさかの一人での過酷な労働でした。
過酷とは言ったものの、仕事内容はとってもやりがいのあるものでした。
とはいえ、過酷な環境。
土木コンサルタント、どんなカッコいい事務所なのかドキドキして初めて面接に訪れたソコは…小さなアパートの一室。
えっ?ここ?ここですか??
おんぼろアパートの一室1ルーム。本棚だらけの部屋の中には資料が所狭しと並び、狭い空間にデスクとパソコン。
働き始めた当初は、所長とわたしと同時期に働き始めたスタッフの3人で都市計画にかかわる様々な業務を行っていましたが、いつのまにか一人減り、所長とわたしだけの二人体制での業務に…。
所長は常に事務所にはいないため、事務所には私一人。
所長の指示のもと月に4~7件の地方自治体向けの業務を行っていました。
集中して黙々と作業をすることを苦に思わない性格だったのか、一人の環境にそこまで苦痛を感じずに(アレ?麻痺してたのかな?)
ザックリ指示をされて、自分であれこれ考えながら進めていくやり方があっているのだと、新卒2年目で知りました。
スケジュール管理、仕事の進捗管理。
フレックスタイム制だったので、定時出社定時退社ではなく自分のタイミングで入退勤を管理でき、とても働きやすい環境でした。
とはいえ、だれとも話すことのない一人の環境。
仕事の進捗状況では、残業もあるし休日出勤もある。
きづけば2年ほど事務所で一人、複数案件を自分の采配で回していました。
一人で仕事ってつまらないなぁ
一人の環境に嫌気がさしてふと考えたこと。
土木コンサルタントで働いて独立するには、技術士という国家資格が必要です。
新卒1年目の設計事務所で起業マインドが植え付けられていた私は、技術士を取得してこの先の人生も土木の分野で働きたいか?ふと考えたときに、
(ハンドメイド含む)モノ作りが好きなので、モノづくりに関連したお店経営がしてみたい!
という結論にいたりました。
そうだ!経営を学びたいから東京に行こう!
経営や営業に関する経験がしてみたい!
色々調べた結果、自分にできそうな業種として広告代理店の企画営業だ!と畑違いの転職を決意!
一人で回していた職場だったので、所長に辞めたいです!東京に行きます‼と伝えたときには、大変動揺して、孤独の環境下で辛くて退職するのだ…と思われ(間違ってはいない!)、職場環境の改善を提示されました。
退職する前の月から、時給制のパートではなく、定額制になり、スタッフが2人増え、週に一回ランチをご馳走してもらう好待遇になりました。
ありがたいことに退職金までいただき、上京資金GET!
広告代理店【正社員】会社の倒産、経営の難しさを学ぶ
沖縄から大都会東京へ進出し、経営、営業を学ぶべく再スタートした矢先のとんでもない出来事
入社した時期が悪かったようです。
アメリカのサブプライムローン問題を発端とするリーマンショックにより、入社した会社はまさかの倒産。
わずか半年でも、学ぶことは多かったです。
畑違いすぎて、営業職の基本すら知らなかったド素人でしたが、ふんわりとですが、店舗やサービスをPRするための販売促進ツールの印刷物やグッズ、店舗運営と集客ツール、代理店業務、そして、会社の倒産という非常事態のさいにどんなことが内部で起こるのか。
大変勉強になりました。
飲食店、企画会社【正社員】会社の倒産、経営の難しさを学ぶPart2
上京し1社目でまさかの半年で退職。運よく、関連会社の社長さんに雇ってもらい再スタートした矢先のとんでもない出来事
店舗運営を夢見て上京してきた私にとって、最大のチャンスが到来!
新規に飲食店を立ち上げる会社に入社することになり、店舗立上げの様々な業務に携わることができました。
営業許可、消防の手続き、各種備品の手配、スタッフの採用、スタッフ管理、経理、集客、店舗のイベント企画など。
1つの店舗の店長的なお仕事をさせていただきました。
また、小さな会社でしたので、飲食店の店舗勤務と並行して本社勤務も行い、会社の別業務の営業的な経理的なお仕事もしていました。
これまでの業種が長時間労働当たり前の勤務形態だったので、ここでも超過密スケジュールにも関わらず、それなりに楽しんでいました。
ただ、立地の問題には逆らえず、ランチでは大盛況のお店も夜は閑古鳥鳴きまくりで、人件費がかさみにかさみ…あえなく閉店。
ほかの事業もうまくいかず…かかえていた社員は退職。
区役所【派遣社員】公共意識について学ぶ
上京して倒産続きの不幸に見舞われ、さぞかし落ち込んだだろうとご心配された皆様。
ご安心ください。
ひとまず正社員になると、とことん会社が傾く山田さん(旧姓)は、松林さんに永久就職を果たし、正社員人生に終止符を打つことを決意。
そうだ‼派遣社員になろう!
正社員になったからって、安泰な人生が送れるわけじゃない!
それなら、派遣社員になって、時間の融通のきく働き方をしてみようじゃないか!
経営を学びたい!と上京し、ことごとく会社経営の厳しさを目の当たりにした結果、いったん夫婦共働きの普通のライフスタイルに落ち着く事にしました。
正社員の夫、派遣社員の妻。
東京で、時間とお金に余裕のある夫婦だけの生活。外食したり旅行したり。
気づくと第1子を妊娠し、専業主婦になり、
第2子を妊娠、出産し、また派遣社員に戻りました。
子どもが2人になり、残業のない子育て家庭に理解のある、区役所での派遣社員勤務が始まりました。
これまでの人生、長時間労働が当たり前の環境にいたので、
8時間勤務の定時に帰れる環境に
これが普通の労働時間なのか!明るいうちに帰れるって素敵!!
とはいえ、子供二人を抱えての勤務。
保育園の送迎、育児、8時間労働。
結構な過重労働!さらに過酷な環境!
生きるって、働くって常に時間との戦いだ!!!
自分だけじゃなく、二人の幼子を誘導しながら指定の場所(保育所ベツベツ地獄)まで連れていき
自分も毎日同じ時間に同じ場所に行く。
この毎日の繰り返しが、とてつもなく苦痛に感じました。
派遣先での職場では、区役所の窓口業務に携わり、福祉サービスを求める方たちへの対応に追われました。
役所の立場で、サービスを提供する。
必要とする人に用意されたサービス。
でも必要とする人が自ら行動しないと受けられないサービス。
知らないと損する。
丁寧なんだけど、親切かと言われたらそうでもない。
かゆいところに絶妙に手の届かない、そんなサービス。
建設コンサルタント【派遣社員】計画性について学ぶ
上京した当初の目的である、経営を学ぶ!というお仕事からかけ離れ、次は建設コンサルタントの派遣社員になります。
区役所の派遣社員の時は、子供たちを保育園に預けることが第一の目的だったため、家から近く、当時預けてきた無認可保育園から通える範囲の職場=区役所という選択で勤務先を選びました。
派遣社員のステキなところは勤務先が選べて、働きやすく辞めやすい。
ライフスタイルに柔軟に対応できます。
とはいえ、相変わらずベツベツ保育園地獄に振り回される共働き夫婦。
保育園の送迎、満員電車、駅から15分駆け足で会社まで通う、8時間勤務、会社から15分駆け足で駅まで通う、満員電車、保育園のお迎え2箇所、家事育児
生きるって、なんて多忙なんだろう。
そう感じながらも、派遣社員として、これまでの人生で一番好きで経験値を高められる設計のお仕事を探し働くことに。
大学の専攻は都市計画だったので、東京で建設コンサルタントの派遣社員として2年働きました。
橋の設計図面を描いたり、高速道路の補修計画、ダムの耐震調査の報告書作成など、沖縄の時の経験を思い出しながら、土木楽しい!!と感じながらの久しぶりに黙々と集中できる環境。
東京に来て、人と接する仕事(接客、営業など)が多かったですが、ようやく一人黙々と集中してできるお仕事に、やりがいと感じました。
また、同時に複数人の社員の仕事を掛け持ちしていたので、担当する仕事が混乱しないように、自分なりに進捗状況をまとめたりしながらの勤務。
定時になったら、サクッと帰れる生活。
建設コンサルタントでの派遣社員は、一番やりがいのあるお仕事でした。
仕事をしている8時間が一番リラックスしている時間でした。
とはいえ、仕事が終わると、走って駅に向かい、満員電車にゆられ、駅につくと自転車で子供二人を2か所の保育園に迎えて、家事育児。
そんな生活が2年たったころ、家族で沖縄に帰る!そんな時期が訪れ、忙しかった日々に終止符を打ちました。
じぶん仕事実験中【個人事業主】働くことで一番大切なことに気づく
2017年、東京から沖縄に家族で移住し、夫はすこしのんびり沖縄生活を楽しんがのち、就職をしました。
私はというと、失業保険をもらいながらお仕事探しをしていました。
沖縄に帰るにあたり、東京に比べて収入が減る覚悟していましたが、まさかの支出のアップが待ち受けていました。
国民健康保険料と保育料の大幅アップ。
同じ年度の所得に対して、東京での国民健康保険料は月35000円ですが、沖縄に来ると月50000万!
保育料は、東京だと子供2人を認可保育園に預けて2人分(5才&3才)で25000円
沖縄で認可保育園に預けようとすると、3才1人で25000円位。お兄ちゃんは幼稚園なので6000円位!
悩みましたね。
息子くんは幼稚園、小学生になる。
生活環境も変わるし、私がフルタイムで働くと子供たちのことをじっくり見てあげる時間が無くなりそう。
娘ちゃんも保育園に通わすにはフルタイム勤務が必須。
こうして、紆余曲折の末、じぶんの得意、経験を活かして働くことを選ぶにいたりました。
ここからは、また別の記事で!
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